7月7日。初収穫。5~6個入り約180グラムくらいで卸値55円。
Lサイズのピーマンはだいたい40グラムなので少し小ぶりです。
記念すべき初日は14袋の収穫でした。以後6日間は10袋前後の出荷数で1週間目からは急
に収穫量が増え40袋前後になりました。7月24日には初めて100袋を超え、お盆が過ぎた
8月17日頃まではコンスタントに1日平均100袋以上の出荷ができました。
この調子で10月末まで収穫出来れば・・売上は50万円くらいは行っていたと思います
(それでも当初の目標には全然届きませんが)
しかし、この調子が収穫終了時期まで続くはずはありませんでした。
その一番の原因は晴天続きの気候。7月30日に豪雨が降って以来8月20日までは雨が
降らず気温が上がりに上がって最高気温35度以上の日が2週間ほど続いた。
とにかく暑い。1日にだいたい6~7リットルは水分を摂る。お茶2リットルにスポーツ飲料を4リッ
トルくらい。お茶だけでは6リットルも飲めない。無理して飲むと物凄いばてる。
まだまだ甘いのかも知れないがばてたら作業にならないので安売りのスポーツ飲料
を買い込んで飲んでいた。

それほどの暑さ。暑がってるのは私だけではなくピーマン達も同じでした。
私の圃場には灌水施設は無く水はお天気まかせ。8月15日頃には最低気温も27度まで上がり
その日頃から明らかにピーマンの肥大が停止?したようになってしまった。
出荷先がお盆休みだった為14日~16日の三日間は収穫していない。さぞかし休み明けは
大きなピーマンが沢山採れるのではと期待していたのですが完全に予想は外れ
小さなピーマンを大量に収穫して終わりでした。それが8月の17・18日。
さらにこの高温でピーマンの日焼けが顕著になっていてどんどん過熟して赤くなってしまい
出荷できない実が増えてきていた。実の肩の部分などは赤を通り越して白くなってしまっていた。
大きくならずに赤く変色して売り物にならなそうな実は全て採って捨てた。
実全体が均一に赤くなってくれれば赤ピーマンで出荷出来るのに・・などと思いながら
まだらに赤変してしまった実を捨てていた。

さらにさらに悪い事は続く。株が次々枯れだしたのだ。
突然、葉色が黄色くなりやがて株全体が茶色になって枯れた。
原因など判る筈もなく、ただただ被害にあった株を片っ端から抜いていくことしかできなかった。
全滅するのではないか?という恐怖がよぎる程の勢いで広がっていったのだが9月の半ば頃には
枯れ出す株は無くなった。引き抜いた株を知り合いの種屋さんを通じて専門の施設?
で調べて貰ったのだが原因は分からなかった。
後になって思ったがもしかしたら追肥のやり方がまずかったのかもしれない。
株元から20センチ位の株と株の間に穴を開けて肥料をパラパラ入れていたのだが・・
すでに根が張っていて傷つけてしまったかも。そこに肥料を入れたら根を傷つけてなくても
肥料で根が焼けてしまうかも。と、後で農業関係の本を読みながら思った。

まだある。ピーマンではお馴染みのタバコガの食害とダニによる実の変形。
これも多かった。しかし、防除はしませんでした。この判断は疑問だけど。食害を受けた実は
ポイっと捨てて踏みつぶすだけです。
先にも書いたけど定植の時に使ってからは農薬を使わなかった。
別に無農薬に拘っていた訳ではありませんが使わないにこした事はないです。
ダニの被害も結果的に傍観してるだけでした。うーむ。

などなどなど8月に入って一気に襲って来たこれらの苦難で9月以降は
1日当たり10~20袋まで収穫量が落ち込み、その中身も初出荷当初に比べて2まわりくらい
小ぶりの実を8個程袋に詰めて200グラムくらいにしたものを出荷していました。ほんとダメです。
10月一杯をもって収穫を終了しましたがそれまで一反もある畑なのに
ちょびちょび収穫しながら少しでも売り上げをと思い収穫していました。効率は最悪です。


実は・・
収穫量が一気に減ってしまった理由がまだありました。
又は、あったかも知れないと書くべきでしょうか。
1100本植え付けた内の8割は8月の終わりに生育がほぼ止まってしまいました。
雨が降る度に少し伸びる程度にしか大きくならずしたがって実もあまり着けず、
着いても肥大が悪く大きくなる前に赤変して捨てるか
タバコガに食べられて捨てるかという状況は先に書いた理由によるものだと思っていたのです。
いや、それで間違いは無いのですが畑そのものにも収量が減った理由があったのです。
翌年、同じ場所で栽培したカボチャ。その後に栽培したブロッコリー。
いずれもまともに生育してくれなったのです。
ピーマンもカボチャも初めて栽培したので自分の栽培方法が悪かったのだろうと思いました。
しかし、ブロッコリーは違います。すでに初年度の冬と2年目の春。
別の圃場とこの圃場の別の部分で栽培してそれなりの売上を出していました。
そして2年目の夏にそれまでと同じ方法でピーマンを栽培していた場所に植え付けたのです。
結果、全く育ちませんでした。
初年度には気付かなかった事が後になって気づくという事は珍しくありませんし
むしろそんな事だらけですが、どうやら水はけが悪いみたいです。
そんなの関係無いって思ってた初年度の私。
2年目の私は大問題だと気付いた訳です。
本で読んだプラウだとかサプソイラだとかを使って心土を破砕してあげて
さらに畑の中心らへんの低くなってる場所に溝を作るなどして排水対策を講じなければまともな
栽培は無理では無いのか。そう2年目の私は思ったのでした。
そして残念ながら今の私にそれらの対策は不可能なのでした。
3年目・4年目の私はこの初年度のピーマン栽培をどう思うのでしょう。まだわかりません。


今回のピーマンと同じ場所に植えた翌年(2008年)晩秋のブロッコリ。1・2番目の本葉がほぼ全て黄変しています。※本文はあくまでも筆者の推測です




畑の中の高低差を甘く見てはいけないと学習出来ました。
高いところは物凄く良く育ってたんですけどね。
ブロッコリーなどは最高の出来だったのですが。たまたまそこに植えていたピーマンは先の
8月の苦難以降雨がある程度降り水に困らなくなってからは多少の暑さによる赤変はありましたが
収穫はきちんと出来たのです。
畝をもっと高くすれば栽培も可能かもしれません。
でも一反ほどの畑でも鍬一本では結構というかかなり大変です。
今はたぶん無理です。そんな就農1年目のピーマン栽培でした。
栽培していた時だけではなく記録を録る事によって何年か後になってもその記録から学べるものです。

2008年ピーマン栽培物語に続く。




note

アブラムシ
どこからともなく飛んでくる。
目的の草に落ち着くとジャンジャン
自分の分身(クローン)を生み出す。
羽つきアブラムシの周りに
小さなアブラムシが
取り囲んでいるのをよく見かけます。
脱皮しながら大きくなっていきます。
ぬけがらも別の虫に見えます。
草が仲間であふれかえると
いよいよ羽をはやして
飛び立ちます。
草が密集している場合、
すぐ近くの草に
移るみたいです。
そんな傾向があります。
だから、ハウス内だと
アブラムシがほとんどいないエリアと
密集しているエリアが
はっきりわかれていたりします。
蔓延する前に、
薬をかけて被害をおさえましょう。
ふだんから観察して
羽つきのアブラムシが一匹でも
くっついていたら薬を散布しましょう。
でもテントウムシがいたら捕獲して
しばらくしたら畑に戻しましょう。

星空の就農物語

6月の初旬。いよいよピーマンの定植を始めます。松伏町付近のピーマンの露地栽培では5月の
連休が過ぎた頃に定植するのですが私のピーマンは播種した時期も遅く、畑の準備も
遅れたりしてこの時期になってしまいました。ここも予想外が発生してますね。いつもの事ですが。
さて、作業開始です。準備運動を入念に!?して1時間後。ダウンです。次のダウンは20分後。
その後は10分おき位にダウン。2時間が限界でした。定植作業の初日はこんな感じでした。
同じ作業内容が続くとバテルのも早い。定植やら播種やら収穫やらの作業がまんべんなくあると
体力面から見ると効率が良いのかなと思いつつも今はやる事がこれしかない。
今後の課題の一つだと思った。


ただいま定植作業中。


定植完了まで6日かかった。もちろん定植作業だけやっていたわけではないです。
植え方は株間45cm 畝幅80cmくらいで一条植えです。支柱の設置は相当悩んだ挙句
90cmの姫竹をホームゼンターで一本20円で1200本購入。かなりの出費だけど
この価格は助かりました。普通の園芸用の支柱は90cmで100円?くらい?かな。
後で知りましたが100円ショップで2本100円で売ってました。いろいろ探してみるものです。
この時点で私は90cmの支柱一本でこのピーマン達を支えきれるのか分かっていませんでした。
本には定植時に50cmくらいの仮支柱を立てて苗を支え
その後、本支柱を立てると書いてあります。お金さえあればその通りにしたいです。はい。
だから私は仮支柱を少し長めにして90cmの支柱一本でなんとか支えて
もしダメそうなら畝の両側に支柱を立ててマイカー線を張って枝をマイカー線に乗せる
ようにして支えようと考えました。これもに載っていた方法です。
未経験者はこんな事一つ一つに非常に悩むのです。収穫終了時のピーマンの草姿を知らないの
ですから。そして、定植時にアドマイヤー粒剤を使用しました。アブラムシの防除の為です。
結果的に今回唯一使用した農薬になりましたが後にタバコガやダニの被害がかなり出ました。

定植を終えて支柱と株をひもで結んでいたのですが、とてつもなく手間がかかるので
茎タッチという器具を使って固定しました。これはかなり楽です。最終的には90cmの支柱に
茎タッチを2~3ケ使って株を誘引する事で収穫終了まで株を支えることができました。



株と支柱を茎タッチで固定しました。

なんで売り上げ目標が100万円なのか?
それは1反当たりの適正栽培株数が1500株。そして1株当たりの収穫個数が120個。1個当たりの
卸値を10円として計算すると180万円の売り上げが立つ事になる。
1年目からそんなにうまくいかないだろう
と思いこの半分の90万円の売り上げを目標にしてその後の経営を考える事にした。
しかし、切りの良いところで100万円が目標ですと皆に言っていた。心の奥ではそのくらいいくだろう
と思っていたから。
それなのに何故23万円しか売り上げが立たなかったか?どこで計算が狂ったのか振り返ってみよう。

まずは栽培株数。実際の栽培株数は1100株。400株足らない。替わりにバナナピーマンとナスを植えた。
その分減っただけ。それでも計画通りいけば132万円になる。8割まともに作れれば100万円の目標は
達成出来るし、なすとバナナピーマンの売り上げを合わせれば問題ないと思った。問題はもっと他にある。
1株当たりの収穫数の予測を相当間違えた。なんで1つの株から120個も収穫出来ると思ったんだろうか?
それは意外と情報が無い中でピ-マンの実の着き方から予測したからだ。
ピーマンは本葉14~15枚で蕾を着ける。その後主枝が3本に分かれる。それより下段から出る脇芽は全て欠く。
この3本を主枝としてほぼ放任状態で栽培する。この整枝作業の簡易さがピーマンを主軸作物に選んだ
理由の一つなのだが、主枝が3本に分かれた後に一つづつ蕾を着ける。これで花は4つ咲く事になる。
この3本に分かれた主枝がさらに3本づつ分かれて蕾を着ける。これで蕾13ケ。
さらに3本づつ分かれて27ケ蕾を着ける。これで合計40ケ。さらに3本づつ分かれると全部で
121ケ蕾を着ける事になるのだが最初の蕾は実が着いたら直ぐに株の負担を減らす為に
採ってしまうので120ケ。もうお分かりと思いますが現実はこんな理想的な育ち方はしませんでした。
今から思えばそりゃそうだと思う。

就農一年目の私の生活を委ねたピーマンの栽培は最悪の結果になった。
少し酷評しすぎかな。
そんな就農一年目の私の出来事にしばらくの間お付き合いください。
品種は京波。形状良く栽培しやすい品種だった。新たに松伏町に借りた畑、
約2反強の内
一反をこのピーマンの栽培に充てた。残りの一反はスイートコーンを作付した。
ピーマンの売り上げ目標は100万円。しかし結果はというと232560円。
目標とはかけ離れてる。
これじゃ全く経営が成り立たない。なんでこんな事になっちゃたんだろうか?
来年に活かす為にここできっちり反省したいと思います。



記念すべき発芽第1号。

3月30日に2000粒播種した。若干発芽は不揃いだったが最終的には9割以上無事発芽して
ひとまず安心。128穴のプラグトレーに播種したのですぐ土が乾く。ほぼ毎日ジョーロで水やり。
すくすく順調に育つ。播種して3週間くらい経ちだいぶ苗も大きくなって来たのでポットに移植した。
4月も終わろうとしていた頃結構アブラムシが付くようになった。成長点付近、新葉にびっしり
アブラムシが付いている。気持ち悪っ。
ホームセンターでハケを買って来て払い落したり、カムテープにペタペタくっ付けて採ったり
してたけどラチがあかない。困ったなぁ。アブラムシはいろんなウイルス性の病気を運んで
くる事と、増えすぎると生育に影響が出てくるらしい。浸透移行性の農薬を使えば簡単に
防除できるんだけどね。定植する時に使いたくて使用しなかった。アブラムシについては特に
問題は起きなかった。よかった。アブラムシよりもナメクジの食害が酷かった。ポットをのせている
トレーの下にはナメクジが5~6匹かたまっていた。全てのトレーの下のナメクジを除去するのだが
しばらくするとまたやってくる。まあこれもなんとか自力で退治できるけど定植後にこの被害が
続くようなら薬を播かなきゃいけないかもしれない。



播種後約2か月の苗。徒長してしまいました。

note
ピーマンの定植時期は
平均気温が
17度くらいになったときが
良いようです。

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note
一反 (たん)
= 10畝(せ) 
= 約300坪(つぼ)
= 約0.1ヘクタール
= 約10アール
= 約0.1町歩(ちょうぶ)
= 約991.74m^2(平方メートル)